2020年4月27日月曜日

1988年のモチベーション

皆さま、こんにちは。ねこです。自分の英語人生を振り返るきっかけがあったので、今日はそのお話をさせてくださいね。かなり昔のお話になります。

1988年の夏、思わぬ展開で、スコットランドにホームステイに行くことになりました。初めての飛行機、初めての海外。うちには、そんなお金あるわけないと高を括って、気軽に「行きたい」と言ってしまったことを大後悔。ワクワク感はゼロで、恐怖感に押しつぶされそうになりながら、アラスカのアンカレッジで飛行機を乗り継ぎ、ロンドンでさらに乗り継ぎ、エディンバラに到着しました。

出迎えてくれたのは、優しそうなリードさん一家。パパとママと、同じ歳の女の子と、そして猫1匹。外国でも、猫は「ニャー」って鳴くんだなと思ったのをよく覚えています。


本当に楽しい毎日でした。持っていたのは小さなトラベル用辞書1冊。Google翻訳も辞書もないのに、不思議と会話はできました。スーパーに連れていってもらって、「日本のニンジンは大きいです」なんてことを一生懸命、話していました。「友達がもう家を出ちゃたから、今日はちょっと早く出かけるね」と言いたくても、過去形と現在形しか知りません。でも、"She went, so I go"で通じました。

毎朝、7時半に"Good morning, Kumiko. It's 7:30"と言って起こしてくれるので、記念にその声をカセットテープに録音させてもらいました。(※WindowsのPCのみ聴けるようなので、あらためてYouTubeにでもアップし直します)


楽しい3週間が終わり、帰国の日。ファミリーは、「スコットランドを忘れないでね」と、スコッチテリアのぬいぐるみをくれました。



スコッチテリアと一緒に、ロンドンで乗り継ぎ、アンカレッジで乗り継ぎ、成田へ。父の運転する車の助手席で思ったこと。

微妙なニュアンスまで、すべて英語で伝えられるようになりたい!

現在形と過去形しか知らない中学生にとっては、壮大すぎる目標だったけれど、とにかく、そこに向かって走り始めました。そして、ホストファミリーとの文通が始まりました。英文レターの書き方の本など存在すら知らないので、ただ一生懸命、辞書を引きながら、自分の日常について書きました。お返事の手紙は、簡単な単語を選んでくれていたようで、ほとんど辞書を使わずに読めました。

高校に入ると数学の時間も、物理の時間も、イヤホンでこっそり英語を聞くようになりました。忙しくなって、いつの間にか文通は途絶えてしまったけれど、英語熱が冷めることはありませんでした。大学では言語学を専攻し、バイト代を貯め、夏休みや春休みを使って、何度かイギリスに短期の語学研修に行きました。この時も、ホストファミリーに恵まれ、ますます英語にどっぷりと浸かるようになりました。就職ではいろいろ苦労がありましたが、紆余曲折を経て翻訳者に。

2004年、ふと原点を訪れる旅がしたくなり、再びスコットランドを訪れました。「あのファミリーはどうしているだろう?」。時々、そう思うことはあったけれど、手紙を出して返事が来なかったら悲しいし…という気持ちがあったからか、特に連絡もしないまま、エディンバラへ。

でも、思い出の詰まった小さなトラベル用辞書を開いたら、ママの書いてくれた住所とバスの乗り方のメモが挟まっているではないですか。ダメ元で、とにかく行ってみよう。そう思って、バスに乗り、ファミリーの住んでいた家を目指してみました。


日本と違い、表札はありません。あるのはドアの番号だけ。ドキドキしながら呼び鈴を押したけれど、返事はありません。すると、お隣さんが声をかけてくれました。「リードさんなら、5時半ぐらいに帰ってくるわよ」。えっ? 今、リードさんって言った!? あと40分ほどあったので、ドアの下に「1988年にステイさせてもらったKumikoです。あとでもう一度来ます」とメモを滑り込ませ、一旦、カフェへ。40分後に再び訪れると、家の明かりがついていました。

呼び鈴を押すと、「Kumiko!!!」という叫びと共に、16年分歳を取ったパパとママが、16年分歳を取った私を出迎えてくれました。同い年の娘さんとその旦那さんも合流。話しても話しても話は尽きず、「明日、あらためてディナーに招待したい」とお誘いをいただきました。また、パパからは「今、タクシーの運転手をしているので、明日の午後、お休みを取って、街を案内したい」との申し出が。



翌日、パパの運転で、エディンバラの街をじっくり観光させてもらいました。そして、そのままおうちディナーへ。3人で16年分のお喋りをしました。「微妙なニュアンスまで、すべて英語で伝えられるようになりたい!」という目標に、だいぶ近づいたかなと思えた夜でした。

再びクリスマスカードを送り合うようになって16年。メールでのやり取りから、Facebookでもつながるようになり、リード家の皆さんの近況を写真で見ては、ちょこちょことコメントのやり取りをする日々が続いていました。しかし、数日前、ウィルスによるパパの訃報を聞くことに…。


今もまだ、動揺しています。ママと娘さんの気持ちを思うと、心が押しつぶされそうになります。エディンバラの街を見せてもらったお礼に、パパに東京の街を案内したかった…。

ここ数日、泣いていました。でも、ずっと泣いてばかりはいられません。リード家の皆さんからもらった「英語の種」をさらにしっかり育てて、翻訳者として、通訳案内士として、頑張って生きていかなきゃ。

このブログを英語に訳してママと娘さんに届けようと思っています。微妙なニュアンスまで、すべて英語で伝えられるか、32年越しの挑戦です。