2017年1月18日水曜日

苦節20年!?

皆さま、こんにちは。ねこです。
昨日は通訳案内士の合格発表でした。
やっと、ようやく、ついに、とうとう
合格しました!

サクッと受けて、サクッと
受かったわけではありません。
実は長い長い長い物語があります。

今日は、ねこの通訳案内士試験の記録と
紆余曲折の英語人生について
書いてみようと思います。
(参考になるかわかりませんが、
TOEICのスコアを添えてみますね)

最初にこの試験を受けたのは、
なんと1997年のことでした。
通訳案内士の受験対策の学校に
春から通い始め、
その年の夏は、とりあえずお試し受験。

まだ学び始めたばかりだったので、
やはり不合格でした。
ちなみに、その当時のTOEICのスコアは、
こんな感じです。

1994年11月 745点 (←初受験)
1995年1月 805点 (←いきなり上がった)
1995年5月 810点 (←それほど上がらず)
1996年3月 785点 (←下がった…)
1997年1月 860点 (←大幅飛躍)
1997年11月 880点 (←ちょっと上がった)

いやはや、お金もなかったのに、
根性出してよく受けてますねぇ…。
50~100点ぐらいは、簡単に
変動するものなんだということも
何かの参考にしてください。

翌年の1998年は、通学のかいもあり、
通訳案内士の一次試験に合格しました。

(※当時の通訳案内士試験は
一次:外国語、二次:口述、
三次:地理・歴史・一般常識という構成)

しかし、二次の口述(英語面接)は
不合格でした。
緊張してガチガチになってしまい
まったく思うように話せなかった
というのだけ覚えています。

当時、どうせ英語の勉強をするなら
英検1級も一緒に…と
英検対策もやっていたのですが、
そちらも筆記は受かるものの、
面接がうまくいきません。

TOEICのスコアだけは、
順当に上がっていきます。

1998年9月 930点

筆記試験だけができて、
面接はまったくダメというのが
次第にトラウマになってきました。

そして、1999年の
通訳案内士の口述試験も
失敗に終わってしまいます。

この時点で、ねこは
心に固く誓いました。

もう、「話す英語」は諦める!

ある意味、肩の荷がおりたというか
スッキリした気持ちになりました。

通訳案内士試験の受験対策で
英語の読解力がかなり上がったので
社内翻訳者という立場で
働けるようになりました。

2001年1月 930点

2001年の秋から2002年の秋まで
映像翻訳の学校に通い
晴れて映像翻訳者にもなれました。

「話す英語」のことなど、
もう、これっぽっちも考えずに
黙々と翻訳と向き合っていました。

しかし、2010年、
英会話講師をやっている友人が
「すっごく楽しいよ!」と言うのを聞き、
うっかり英会話学校の
採用試験を受けました。

すると、そこでも二次試験で
英語を話さなくてはならず、
頭の中は真っ白、言葉はしどろもどろ。
絶望的でした。

もう本当に二度と
「話す英語」のことなど考えない!

そう心に誓って帰宅したのですが、
なぜか、採用されました。
(笑顔がよかったそうです。そこかいっ!)

2010年9月 965点

その時から、練習の日々が始まりました。
今まで「話す英語」がダメだったのは、
声を出して練習していなかったから
ということがわかったので、
とにかく、オーバーラッピングと
シャドーイングをしまくりました。

かろうじて、50分間すべて英語
というレッスンができるようになりましたが、
最初のころは、レッスン中に言うべきことを
すべてシナリオにして暗記していました。

"Please open your textbook.
Look at this picture. What is this?"

50分のレッスンの準備をするのに
2時間以上かかったので、
土曜日に6レッスンある時は、
丸2日かけて準備と練習をしていました。

Teachers' Roomという
職員室のような場所に入る時も
中に外国人の先生がいると
「うわっ」と思って、
ビクビクしていました(汗)

半年経ったぐらいから、
レッスンはどんどん楽しくなり、
言葉も自然に出てくるようになりました。

2012年9月 955点

英検1級も、面接で2回も不合格になりながら
アメリカ人の友人のサポートを得て
ようやく受かりました。

2014年4月 985点

もっと本場の英語にどっぷり浸かって
学び尽くしたいという気持ちが高まり
初の海外長期滞在に挑戦しました。
(※それまでは最長4週間程度の語学研修のみ)

ニューヨーク市立大の
言語習得の授業を聴講し、
ボランティア活動をし、
アメリカ人夫婦の家にホームステイをし、
言葉と文化について、
日々、発見の連続でした。

2015年の春に、
ニューヨークで知り合った友人が
日本に遊びにきました。
そして通訳ガイド付きの東京観光に
同行させてもらうことに。

「あら、通訳ガイドって楽しそう」
そんなふうに気楽に考えてしまい、
十数年の時を経て、
再び通訳案内士試験に挑戦。

昔とは試験の構成が変わっていて、
一次が外国語、地理、歴史、一般常識、
二次が口述となっています。

英語は英検1級か
TOEIC840点以上で免除。
そんなわけで、地理、歴史、一般常識を
せっせと勉強しました。

過去問で8割取れるようになり、
これなら、まあ大丈夫でしょう
と思っていたのですが、
当日はまるで悪夢を見ている気分。

特に地理については、
何の手がかりもないまま、
適当にマークシートを塗らなくては
ならないような問題も
たくさんありました。

試験の結果は、
歴史と一般常識が合格で
地理が不合格。

ツイッターなどを見ると
「どんなに勉強しても、
またあんな問題が出るなら、
受ける気がしない…」と
書いている人がたくさんいました。
通訳案内士試験は諦めることにしました。

やっぱり「話す英語」には
縁がないらしい…。

2016年1月 985点

ところが、妙なご縁で、
前述の通訳ガイドさんと
メールのやり取りをする機会があり、
なんだかあっさり励まされ、
再受験をする決心をしました。
(彼女も何度も受験に失敗しながら、
抽選だと思って受け続けたそうです)

今回、一次試験は地理のみ。
これを逃すとやっかいなことになるので、
受験対策校CELの夏季通信講座を
利用しました。

そして、無事、地理の試験に合格。
口述試験の対策を兼ねて、
(他にも用があったので)
9月から12月まで渡米しました。

3か月かけて頭を英語モードにし、
12月2日に帰国、12月4日に二次試験。
まだ頭が日本語モードに
戻っていなかったので
とてもラクに話せました。

そして、やっと、ようやく、ついに、とうとう
「合格」に至るわけです。
1997年からほぼ20年の紆余曲折を経て、
通訳案内士としての
スタートラインに立てました。

ふぅ~、長かった。
ここまで全部読んだ人、いるのかしら?
いらっしゃったら、
ありがとうございます(笑)

大好きな翻訳の仕事と、
どんなバランスでやっていくことになるのかは
まだ未知数ですが、
少しずつ地道に知識をつけて、
「人をハッピーにするガイド」
目指したいと思います。

この経験を通して、
皆さまに伝えたいことが
いくつかあります。

・TOEICのスコアと英会話力は比例しない
スコアが低くても、コミュニケーションが
上手な人はたくさんいるし、
スコアが高くても、うまく話せない人もいます。
「TOEICは信用ならない」というわけではなく、
社会に対して英語力を証明する必要があれば、
高得点を取る必要はありますが、
TOEICのスコアだけで一喜一憂する必要はありません。

・英会話は練習あるのみ
ねこの最大の失敗は、
声を出して練習してこなかったことでした。
話す英語を極めたかったら、
必ず声を出して練習しましょう。

・失敗するといっぱい学べる
もし、通訳案内士や英検1級に
当時、あっさり受かっていたら、
ガイドとしてあまり活躍もできず
英語力を磨くこともなく、
終わっていたかもしれません。
挫折を重ね、紆余曲折を繰り返したことで
たくさんのことを学べました。

英語でも、それ以外でも、
何か諦めてしまいそうな時、
ねこの話を思い出してもらえたら光栄です。
20年かけたら、大抵のことは、
それなりにうまくなると思います♪